黄八丈の魅力

著:山下 芙美子
黄八丈は、八丈島に自生するコブナグサ(黄・カリヤスともいう)、タブノキ(樺・マダミともいう)、スジダイ(黒・シイともいう)を使って染められた手織りの絹織物です。
黄・樺(茶)・黒の三色の地に下染の色を用い、様々な柄を織り出しています。
江戸時代の「永鑑帳(八丈島に伝わる八丈絹の見本帳)」にみられる平織りの縞・格子以外に、柳悦孝1先生のご指導で「二重ろくろ(綜絖を上げ下げする装置)」の使用が始まり、綾織りが簡単にできるようになりました。
これにより無地、絵羽等も作られるようになり、黄八丈の着方が広がりました。
織りの分野では、無地極上と言われますが、黄八丈の無地も素晴らしいものです。
江戸時代、黄八丈は一般庶民には手に入らない代物という記述があり、大奥に納められ、一部の人しか身につけることのできないものでした。
他の大島、結城などと比べてみても、黄八丈は着たいが手に入らないのが実情でした。
代わりに綿で黄八丈に似せたものが広く出回り、そのことが黄八丈=普段着という認識を生んだようです。
「我が家ではお正月に綿の黄八丈を使用人の衣服として渡していた」という方に出会ったこともありますが、絹織物が庶民の普段着であろうはずがありません。
にもかかわらず、1961年のカンヌ映画祭で、ある女優が黄八丈を着て出席され、日本の国会議員の方に「このような場所で普段着を着るとは何事ぞ」と言われる出来事がありました。
これをきっかけとして さらに黄八丈が普段着として誤解されるようになったのではないかと思います。
ならば、普段着と言われた黄八丈をハレの日にも着られるものにしたいと、悦孝先生に師事し、織りも今までと違うものを無地や絵羽等に使いました。
おしゃれ着と呼ばれるまで五十年かかりました。
やっと世間に少しは認めていただけたようになったと思います。
織物をする方にはぜひ、ご自身の作ったものをお召しになることをお薦めします。着てみることにより、色々な気付きがあると思います。
江戸時代、地味な色の織物が多いなか、黄八丈の艶やかな色合いに人々は魅了されたことでしょう。三色のみであること、絣(かすり)の技術がない等の制約のなか、シンプルな縞、格子が作られました。
現在も染め、織りの技法に変わりはなく、そのなかで今求められる着物作りに八丈島の風、香り、陽ざし、自然を感じて、その美しさを織りで表していけたらと思います。
- 染織家。柳宗悦の甥。元女子美術大学学長。1911-2003年 ↩︎