地機のこと

著:山下 譽
八丈島に高機が入ったのは明治二十二(1889)年、山下与惣右エ門によって房州からと言われている。
八丈の地機は斜上機で西日本型だという。
特徴は押さえ棒に五キロの玉石がぶら下がっていることで、これによって経糸に掛かる力が加減されて、風合いの良い布が織られるのだろう。
地機の材料は、海岸へ流れ着いた流木で作ったものだという。
八丈島に唯一残る地機は当工房に一台ある。
他に昭和二十七(1952)年に東京都が造ったものが二台ある。
昭和五十一(1976)年三月、地機織を習いに東京・仙川の柳悦孝1先生の工房へ母八百子と譽の二人で行き、数日通って習得した。
その際に結城の水平機をいただいてきた。
八丈のものより織るのは楽、錘(おもり)の石が無いので左右に石が移動せず、筬(おさ)がすべり落ちて来ない。
地機の布はツヤがあり、柔らかで風合いが良い。
- 染織家。柳宗悦の甥。元女子美術大学学長。1911-2003年 ↩︎