黄八丈の糸染 − 黄・樺・黒

黄八丈の糸染
− 黄・樺・黒 −

著:山下 譽


黄八丈の糸の色は黄、樺、黒の三色のみで、青と赤がない。藍染が無い産地は日本中で八丈島だけである。
柳宗悦1先生は「工藝」第九七号2で「黄八丈が全て美しいのは色が少ないからである」と記された。
デザインはシンプルが一番で、色は少ない程そうなるから理に適っているのだという。
又、絣(かすり)が無いことも黄八丈の特徴である。つまり絵模様の無い縞と格子のみで、これ以上簡素な柄は無いのである。

黄八丈の真価は染色にあり、特に黄色の美しさが問われる。
草木染は沈んだ淡い色が本来の姿であると思われがちだが、そうでは無い。
昭和五十七(1982)年、吉川英治文化賞受賞の山下めゆに対し、柳悦孝3先生からお祝いの言葉をいただいた。

昭和十二年以来、度々八丈島に渡り、実に多くのことを教えられました。(中略)
隔絶された苛酷な自然の中で、人は如何に生きたらよいのか、その環境から作り上げる仕事がどれ程辛いか、永い経験から出た様々な知恵、それ等が花咲いて美しい黄八丈が生れたと云えましょう。
その意味で おめ由さんは大切な生き証人です。

その黄色の美しさが何に起因するのか、おそらく水質にあるのではないかと考えている。
近藤富蔵の「五村惣評(八丈実記)」に「此中ノ郷ノ地、水性ヨキト見ヘテ、男女キメコマヤカニ色白シ」とある。

次に染釜が銅であること。
これは鉄釜などに比べ、化学反応による影響がないためである。
この釜は当工房初代与惣右エ門の時代から使っていた釜で、昔徳川が送ってくれた幾つかのなかの一個だという。
鍋、釜、瀬戸物、その他生活資材は本土から送られた物であった。
平成元(1989)年、先代から使い続けた釜も穴が空き、交換した。
戦時中の金属供出を免れて働いてくれた釜、証人として大切に保管してある。

− 黄 −

黄色の染料のコブナグサ(カリヤス)は、イネ科の一年草で北海道から沖縄まで日本中に自生しているが、これで染色をしているのは八丈島だけである。
八丈島ではこれを栽培する。

三月初めに種蒔きをし、ハウスで育苗したものを五月中に畑に定植して、九月末から十月初めに刈り取るが、干し上げるのに三日掛かる。
急に降る俄雨(にわかあめ)には悩まされる。
染料を煮た液を「フシ」といい、桶に入れた糸にフシを掛け、翌日まで浸けて置き、朝絞って干す。
夕方同じようにフシ浸けをし、翌朝絞って干す。これを五回から十回繰り返す。

次は媒染である。
灰は椿と榊の生の葉を焼いて作るが、真夏の暑い最中、3,000キログラムの椿と榊の枝葉を切って集めるのは大変な作業だ。
焼く時には、風と雨は禁物で、快晴無風が条件となる。
従って、梅雨明けから八月初め、しかも朝凪の早朝に作業を行う。
焼くのは二時間で終わるので、早朝四時に点火すると日の出頃の六時には終わる。
炎を出さないように一抱えずつ新しい枝葉を次々と炎の上に覆う。
後は小屋掛け(灰の周りをトタンで覆う)してじっくり火を通し、二・三日掛けて一斗缶16個位の灰を取り、当期内に使い切る。
灰汁は瓶に灰と水を入れ、一週間沈殿した上澄みを使い、一回の媒染で終わる。

− 樺 −

樺染にはタブノキ(マダミ)の皮を使う。
皮には二系統あり、色の良く出るのを「クロタ」、出ないものを「シロタ」と言って避ける。
更に生皮でないと色が出ないので保存はできず、使う時その都度木を切る。
樹齢三十年から五十年が理想だ。
十数回の下染の後、木灰汁で媒染し、更に下染を数回重ねた後、二回目の媒染によって仕上げる。

− 黒 −

黒染の方法は樺染と同じであるが、数年乾燥したスジダイ(シイ)の皮を用いて泥染の工程が入る。
シイの皮で十数回下染の後、沼田の泥に浸け、更に四〜五回染める。
この時のフシ浸けは冷ブシといって冷ましたフシを使う。
二度の泥染で終わる。
黒に染めた糸は時間の経過と共に傷んで織りにくくなるので、長く置くことはできない。

日本の泥染は奄美大島と沖縄の久米島、それと八丈島が知られる。
泥染は一説によると、薩摩藩が八丈島へ人を遣わし、泥染を習わせて久米島へ伝えたのが沖縄、奄美のはじめという。
しかし染織研究家の上村六郎氏が記した「沖縄染色文化の研究4」によると、江戸初期に八丈、沖縄で同時自然発生したものであって、「本草綱目(中国の薬学書)」にも泥染は出ていないと断っている。

江戸時代初期、江戸では黒の染色法が無かったので、藍染を重ねて黒に近くまで染め、黒の代用にしたという。これを「江戸黒」という。

おわりに

染色の時期は主に秋。
黄色はコブナグサの刈り入れの終わる十月以降、樺と黒は夏から十一月初めまで。
染色は冬の訪れ前までに終わるべきで、寒染が良いともいうが冬の西風のなかでは糸が傷むため避けなければいけない。
総じて二番煎じをせず、材料を惜しまず使うことが肝要とされる。

今のところ、染料の供給は心配ない。年数の掛かる木の皮は、二色共この島に溢れている。
八丈島は東西二つの海底火山によってできた瓢箪島である。
東山は十数万年前にできて、黒の染料の椎の木で覆われている。
西山は一万年前までに生まれ、樺に使うタブノキが多い。
コブナグサは一年草であるから作付け量で解決できる。
又台風、季節風の強いこの島では、媒染剤の材料の椿は屋敷の防風林、榊は畑の防風林、これで染の材料が揃う。
材料が充分にあるからこそ良い染ができる。八丈の自然に教えられた三色である。

  1. 美術評論家。民藝運動の主唱者。1889-1961年 ↩︎
  2. 日本民藝協会 1939年 ↩︎
  3. 染織家。柳宗悦の甥。元女子美術大学学長。1911-2003年 ↩︎
  4. 第一書房 1982年 ↩︎

黄八丈コラム